不思議の国のアリス 第4回:コーカスレースと長いお話
第3章のあらすじ
涙の池から岸に上がったのは、アリスのほかに、鳥や動物たちの一団でした。ドードー、オウムのロリー、アヒル、小鷲、そしてネズミなど、みんなびしょ濡れで、機嫌が悪くなっています。最初の話題は、どうやって体を乾かすか、でした。アリスは、すぐにロリーと言い争いになります。ロリーが、自分のほうがずっと年上だから正しい、と言い張り、何歳なのかは教えようとしません。年齢を言わない以上、これ以上議論はできない、という屁理屈で、議論を終わらせてしまうのです。
そこへ、ネズミが、「このなかでいちばん威厳がある私が、いちばん乾いたものを話そう」と、みんなを座らせます。ネズミが始めたのは、征服王ウィリアム(ウィリアム一世)をめぐる、退屈な歴史の講義でした。話の途中で、「それで、どうだ、少しは乾いたか」と聞いても、みんなは、まだ濡れたままです。このやりとりは、「乾く」という言葉に、「(歴史の話が)味気ない」という、もう一つの意味(dry)を重ねた、言葉遊びになっています。
不思議な競争「コーカスレース」
しびれを切らしたドードーが、議題を変えて、「体を乾かすには、コーカスレースが一番だ」と提案します。アリスが、「コーカスレースって何?」と聞くと、ドードーは「やってみせる」と、地面に円形のコースを描きます。スタートの合図はなく、各自が好きな場所から走り始め、好きな時に走り止めるのです。みんなが、いつ終わるのかも分からないまま、走り回ります。しばらくして、ドードーが「競争は終わりだ」と叫ぶと、みんなは息を切らして集まり、「誰が勝ったの?」と尋ねます。
ドードーは、長い間、考え込んだすえに、「みんなが勝ったのだから、全員に賞品を与えなければならない」と答えます。賞品は誰が出すのかと聞かれると、「もちろん、アリスだ」と言い、みんなはアリスの周りに集まって、口々に「賞品を」と叫びます。困ったアリスは、ポケットに入っていた砂糖菓子(コンフィット)を、みんなに配ります。ちょうど、一人につき一つ分ありました。さらに、ドードーは、アリス自身にも賞品が必要だと言い、ポケットから指ぬきを取り出して、「これをお受け取りください」と、厳粛に差し出します。アリスは、ばかばかしいと思いながらも、笑いをこらえて受け取ります。
コーカスレースは何の風刺か
「コーカス(caucus)」とは、もともとアメリカの政治で使われた言葉で、政党の幹部が集まる会議を指していました。この章の競争は、決まったルールも、勝者もなく、全員が一斉に走って、全員が勝つという、ばかばかしい仕組みです。これは、当時の政治や委員会の無意味な忙しさを皮肉ったものだという解釈が、よく紹介されています。ただし、キャロル自身が風刺の意図を詳しく語ったわけではないため、確かなことは言えません。
ここで注目したいのは、このレースの描き方です。競争をテーマにしながら、競争の「目的」や「勝敗」が、すっかり抜け落ちています。それでも、動物たちは、真剣に走り、真剣に賞品を求めます。目的を失った行動を、真面目に続ける様子の滑稽さが、読者の笑いを誘います。意味が通らないのに、儀式のように進む場面は、後半の法廷のシーンと、響き合う作りになっています。
ネズミの「しっぽ」と「話」
みんなが落ち着いたあと、アリスは、ネズミに、さっきの話の続きを聞かせてほしいと頼みます。ネズミは、猫と犬が嫌いな理由を話すと言って、語り始めます。ところが、アリスは、ネズミが言った「長くて悲しい話(tale)」を、「しっぽ(tail)」と聞き違えます。この英語の同音異義語を利用した勘違いから、物語は、ひとつの視覚的な趣向に進みます。
アリスの頭の中では、ネズミの話が、そのままネズミのしっぽの形になって描かれていきます。原作では、その詩が、ページ上で、曲がりくねった細長い形に組まれた「図形詩」として印刷されています。内容は、「フューリー(怒り)」という名の犬が、家で出会ったネズミに、「一緒に裁判所へ行こう、私がお前を訴えてやる」と持ちかける話です。文字の並びで、しっぽの形を作るという、視覚的な言葉遊びは、翻訳ではなかなか再現が難しい部分ですが、原書の見どころの一つです。アリスは、聞いているうちに、うっかり話を聞き逃してしまい、ネズミは、機嫌を損ねて立ち去ります。
猫の話で、みんなが去る
ネズミが去ったあと、アリスは、愛猫ダイナの話を、また始めてしまいます。ダイナはネズミを捕るのがとてもうまいし、鳥にも目がない、と得意になって話します。その様子を聞いていた鳥たちは、一羽、また一羽と、言い訳をしながら、その場から去っていきます。アリスは、「ここでは、誰も、ダイナのことを好きになってくれない」と、しょんぼり泣き出しそうになります。
ここでも、悪気のない自慢話が、相手を怖がらせるという構図が繰り返されています。第2章のネズミの場面とあわせて、アリスは、「猫」を、かわいい家族だと考えていますが、小さな動物たちにとっては、命を脅かす存在です。同じものを、立場によって、まったく違うように見る。物語の中では、この視点の違いが、軽い笑いとして描かれつつ、読者に、他人の立場を想像することの大切さを、そっと教えています。
小説を書く人にとっての学び
この章から学べるのは、「ルールのない遊び」を、物語の中の「ルール」として描く方法です。コーカスレースは、スタートもゴールも勝敗もないのに、動物たちは真剣です。書き手が、先に世界の約束事を決めておき、登場人物がそれを当然のように受け入れると、読者も、その世界の論理を信じてしまいます。
また、言葉遊びを、物語の流れに織り込む技術も参考になります。「乾いた」という言葉の二つの意味や、「tale」と「tail」の聞き違いは、ただの駄洒落ではなく、場面の進行そのものを作っています。言葉の遊びが、そのまま次の展開を生むようにすると、笑いと物語が、一体になります。次回は、白うさぎの家で、アリスが大騒ぎをする第4章を読みます。
参考文献
Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland, Macmillan, 1865(原文。Project Gutenberg: https://www.gutenberg.org/ebooks/11)
マーティン・ガードナー(注)、高山宏(訳)『詳注アリス 完全決定版』亜紀書房、2019年
Martin Gardner (ed.), The Annotated Alice: The Definitive Edition, W. W. Norton, 2000
Morton N. Cohen, Lewis Carroll: A Biography, Macmillan, 1995
ルイス・キャロル(作)、河合祥一郎(訳)『新訳 不思議の国のアリス』角川文庫、2010年