不思議の国のアリス 第5回:うさぎの家と小さなビル
第4章のあらすじ
第3章の最後で、動物たちが去っていき、一人きりになったアリスのところへ、白うさぎが小走りで戻ってきます。うさぎは、落とした手袋と扇を、きょろきょろと探しています。ひとりごとで、「公爵夫人が待っている。あの手袋と扇はどこだ」と、ぶつぶつ言っています。そして、アリスを見つけると、いきなり、「メアリー・アン!」と呼びかけました。アリスのことを、家の女中のメアリー・アンだと、思い込んでしまったのです。
うさぎは、「早く家に帰って、手袋と扇を取ってこい」と、アリスに命令します。アリスは、あまりのことに驚いて、人違いだと説明するのも忘れ、言われた方向へ走り出します。「うさぎの召使いになるなんて、変なことね。いずれはダイナにも、命令されるかもしれない」と、頭の中で考えながら。やがて、「W. ラビット」と刻まれた、ぴかぴかの真鍮の表札のある、小さな家を見つけます。アリスは、本物のメアリー・アンに出会って追い出されたら困ると思い、ノックもせずに、そっと家に入ります。
また飲んでしまった小瓶
アリスは、二階のうさぎの部屋で、鏡台の上にある扇と、白い手袋を見つけます。手袋を取り上げて、部屋を出ようとしたとき、鏡のそばに置かれた小さな瓶が目に入ります。今度は、「私を飲んで」と書かれた札はついていませんでした。それでも、アリスは、「何か面白いことが起きるに違いない」と考えて、栓を抜き、口をつけます。
すると、体が、一気に大きくなり始めます。アリスは、びっくりして、「これ以上大きくならないで」と叫びますが、止まりません。頭が天井につかえ、体をかがめて床に寝転びますが、それでも成長は止まらず、とうとう、片方の腕は窓の外に出し、片方の足は煙突の中に突っ込んだ状態になってしまいます。こうして、アリスは、うさぎの家をいっぱいにする巨人になりました。第1章では、毒かどうかを確かめてから飲んだアリスですが、この章では、前の経験に頼って、確かめもせずに飲んでしまうのです。
「私のことを書いた本があるべきだわ」
身動きが取れなくなったアリスは、家の中でぼんやりと、「家にいたときのほうが、ずっとよかった」と考えます。大きくなったり小さくなったりもせず、ネズミやうさぎに命令されることもなかったと。そして、「でも、不思議な暮らしもちょっと面白いわね」と思い直します。おとぎ話を読んでいた頃は、こんなことは決して起こらないと思っていたのに、今、自分はその真ん中にいる、と気づくのです。
そのあとに続く一文が、とても印象的です。原文では、アリスが《there ought to be a book written about me》、つまり「私のことを書いた本があるべきだわ」と言います。さらに、大人になったら、自分で書こうと考えますが、「でも、もう大人みたいに大きいわ」と、天井につかえた体を見て、苦笑します。物語の主人公が、自分の冒険を、書物になるべきものとして捉えている。小説の登場人物が、自分の物語を意識するというこの瞬間は、物語の中の物語、いわゆる「メタ」的な視点を、ごく軽やかな形で示している場面だといえます。
白うさぎ、パット、そして小さなビル
そこへ、本物の白うさぎが帰ってきます。うさぎは、ドアを開けようとしますが、内側にはアリスの肘がつかえて開きません。そこで窓から入ろうと庭に回りますが、アリスが窓から手を伸ばして、うさぎを掴み損ねたため、何かが砕ける音がします。外にいたのは、うさぎの使用人のパットでした。うさぎが、「窓にあるものは何だ」と聞くと、パットは、訛りのある口調で、「腕でございます」と答えます。うさぎは、「腕だと? こんな大きな腕がありえるか、窓いっぱいの腕など」と言い返し、二人は言い合います。
結局、うさぎは、「あの煙突から入れ」と、トカゲのビルに命じます。ビルは、梯子で屋根に登り、煙突から降りてきます。しかし、アリスが、煙突の中で足を思い切り蹴り上げると、ビルは、そのまま空高く吹き飛ばされてしまいます。外の動物たちは、大騒ぎです。このビルは、第11章の法廷の場面で、陪審員の一人として再び登場します。小さな登場人物を、離れた場面で再登場させるという構成は、後半に向けた伏線として働いています。
小石がケーキに変わる
外では、動物たちが、アリスの家に手押し車一杯の小石を投げ込む相談をしています。実際に小石が窓から飛び込んできて、アリスの顔に当たります。ところが、床に落ちた小石は、小さなケーキに変わっていくのです。アリスは、「これを食べれば、体の大きさがまた変わるはず」と考え、ケーキを食べてみます。すると、今度は、体がみるみる縮み始めます。
ドアを通れるほど小さくなったアリスは、家から飛び出します。外には、動物たちが大勢集まっていましたが、アリスは彼らをかき分け、一目散に森へ走ります。森の中で、アリスは、大きな子犬に出会って、驚かされますが、この犬は、アリスにじゃれつくだけでした。しかし、小さくなったアリスにとって、犬は怪物のように巨大に見えます。逃げ延びたアリスは、ようやく一息つき、「今、いちばんしなければならないのは、元の大きさに戻ることだ」と考えます。次の場面は、キノコの上に座るイモムシへとつながっていきます。
この章で描かれている立場の入れ替わり
この章には、立場の入れ替わりという主題が隠れています。アリスは、少し前まで「お嬢さん」として扱われていたのに、うさぎには、家政婦として扱われてしまいます。人違いというのは、アイデンティティが揺らぐテーマとつながっており、第2章で提起された「自分は誰なのか」という問いを、別の角度から繰り返しています。
また、白うさぎは、公爵夫人を恐れて、ずっとびくびくしています。上の立場の者に怯え、下の立場の者には高圧的に振る舞う。このような人物像は、ヴィクトリア朝の階級社会をにおわせる描写ですが、あくまでも軽いコメディとして描かれており、堅苦しい風刺にはなっていません。読者は、笑いながら、社会の力関係を感じ取ることができます。
小説を書く人にとっての学び
この章から学べるのは、「身体的な状況が、そのままコメディになる」という発想です。家いっぱいに巨大化したアリスは、窓から腕を出し、煙突に足を突っ込みます。この絵面だけで、読者は笑ってしまいます。頭の中で想像した映像が、すでに面白いという場面は、強い印象を残します。
もう一つは、「小さな脇役の使い方」です。トカゲのビルは、ほんの数行の登場で、読者の記憶に残ります。そして、後半で再登場したときに、読者は「あのときのビルだ」と気づきます。脇役に、ささやかでも個性的な行動を与えておくと、のちの場面で効果的に使い回せます。次回は、イモムシが「おまえは誰だ?」と問いかける、第5章です。
参考文献
Lewis Carroll, Alice’s Adventures in Wonderland, Macmillan, 1865(原文。Project Gutenberg: https://www.gutenberg.org/ebooks/11)
マーティン・ガードナー(注)、高山宏(訳)『詳注アリス 完全決定版』亜紀書房、2019年
Martin Gardner (ed.), The Annotated Alice: The Definitive Edition, W. W. Norton, 2000
Morton N. Cohen, Lewis Carroll: A Biography, Macmillan, 1995
ルイス・キャロル(作)、河合祥一郎(訳)『新訳 不思議の国のアリス』角川文庫、2010年