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『枕草子』第2回:「春はあけぼの」と四季への眼差し

前回までのおさらい

前回は、作者の清少納言と主人の中宮定子、そして書名の由来を紹介しました。今回は、『枕草子』の冒頭に置かれた第1段「春はあけぼの」を、春・夏・秋・冬の順にじっくり読んでいきます。

春——「あけぼの」を選んだ理由

第1段は、《春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる》という一節から始まります。春は夜明けの頃がよい。だんだんと白んでいく山の稜線のあたりが、少し明るくなって、紫がかった雲が細くたなびいているのが美しい、という意味です。

ここで注目したいのは、「桜」や「花」ではなく、あえて一日のうちの「時間帯」を選んでいる点です。桜が咲く春の昼間を挙げるのが、当時の常識的な感覚に近かったはずですが、清少納言は、夜が明けてゆくそのわずかな時間にこそ春の魅力を見出しました。しかも、「山際が白くなる」「紫の雲が細くたなびく」といった、色と形の変化を書いています。ここで描かれているのは、季節の「名所」ではなく、季節が人の目に映る「瞬間」なのです。

夏——「夜」の闇と蛍

続いて夏は、《夏は夜。月のころはさらなり。闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる》と書かれます。夏は夜がよい。月が出ている頃はいうまでもなく、月のない闇夜であっても、蛍がたくさん飛び交っているのがよい、という意味です。

さらに《また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るもをかし》と続きます。蛍が一匹二匹、かすかに光って飛んでいくのもよい、雨が降る夜もまたよい、という内容です。ここでは、「たくさんの蛍」という華やかさと、「一つ二つ」というささやかさ、さらに「雨」という一見好ましくない天候までを並べて「をかし(趣がある)」と肯定しています。条件の悪いものの中にも魅力を見つける、という見方がうかがえます。

秋——夕暮れの烏と雁

秋は《秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、三つ四つ、二つ三つなど、飛び急ぐさへあはれなり》と書かれます。夕日が差して、太陽が山の端にとても近づいた頃に、烏がねぐらへ帰ろうとして、三羽四羽、二羽三羽と急いで飛んでいく様子さえ、しみじみと趣深い、という意味です。

《まいて雁などの連ねたるが、いと小さく見ゆるはいとをかし》、まして雁などが列を作って、遠くに小さく見えるのは、たいへん趣があるとも言っています。ここで目を引くのは、烏という、決して優雅とはいえない鳥までもが「あはれ」の対象になっていることです。そして《日入り果てて、風の音、虫の音など、はたいふべきにあらず》、日がすっかり沈んでからの風の音や虫の音は、改めて言うまでもない、と、あえて多くを語らずに余韻を残して終えています。

冬——「つとめて」の厳しさと暖かさ

冬は《冬はつとめて》。「つとめて」とは、早朝のことです。《雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるもいとつきづきし》と続きます。雪が降った朝はいうまでもなく、霜が真っ白に降りた朝も、またそうでなくてもとても寒い朝に、火を急いでおこして、炭を持って廊下を運んでいく様子も、いかにも冬らしくてふさわしい、という意味です。

ここでは、冬の風景そのものではなく、冬の朝に人が動く姿に魅力を見出しています。そして最後は、《昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火も白き灰がちになりてわろし》、昼になって寒さがゆるんでくると、火鉢の火も白い灰ばかりになってしまい、よろしくない、と結ばれます。寒さが和らぐことを「わろし(よくない)」と言い切るところに、清少納言の好みの鮮やかさが表れています。

「ころは」——一年中がよい、という結論

第1段の後には、季節ごとの時期を挙げていく「ころは」という章段が続きます。そこでは正月、三月、四月と月を並べたうえで、《すべてをりにつけつつ、一年ながらをかし》、すべてその時々にふさわしく、一年を通して趣がある、と結論づけられます。

つまり清少納言にとって、季節は「どれがいちばんよいか」を競わせるものではなく、それぞれの季節に、固有のよさがあるという前提で眺められていました。「春はあけぼの」の四つの文も、一年のうちの優劣ではなく、「春ならこの時間帯」「夏ならこの景色」というふうに、季節ごとの最高の瞬間を切り取った記録として読むと、より味わえます。

「花」「木」「虫」——季節の小さな発見

四季の章段の後にも、清少納言は自然についての「ものづくし」を書き連ねています。たとえば「虫は」では、《虫は、鈴虫。ひぐらし。蝶。松虫。きりぎりす。はたおり。われから。ひを虫。蛍》のように、虫の名前が次々と挙げられ、それぞれに短い感想が添えられます。

こうした章段を読むと、清少納言がきわめて細かな観察者であったことがわかります。大きな風景を叙情的に詠むのではなく、虫の声の違い、草花の姿、木の枝ぶりといった小さなものに、ひとつずつ名前をつけ、評価を与えていくのです。この「小さな発見を書き留める」姿勢は、次回以降に読む「好きなもの」「嫌いなもの」の章段にも共通しています。

現代の創作に活かすなら

「春はあけぼの」から学べるのは、「季節」という大きなテーマを描くときに、名所や象徴的な風物(桜や雪景色)に頼らず、「時間帯」「色」「動き」といった具体的な切り口を選ぶという技法です。同じ春でも、書き手がどの瞬間を切り取るかで、そこに込められた感性はまったく変わります。

自分の作品の季節描写がありきたりに感じられるときは、「その季節の、何時頃の、どんな動きが、いちばん自分の心に残っているか」と問い直してみると、新しい切り口が見つかるかもしれません。次回は、清少納言が日常の中の「好き」を書き連ねた類聚的章段を読みます。

参考文献

石田穣二(訳注)『新版 枕草子 上・下』角川ソフィア文庫

角川書店(編)『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』角川ソフィア文庫

国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」: https://kotenseki.nijl.ac.jp/