← ブログ一覧へ
😤

『枕草子』第4回:「にくきもの」「すさまじきもの」

前回までのおさらい

前回は、「うつくしきもの」「あてなるもの」など、清少納言が「好き」と感じたものの章段を読みました。今回は、反対に「嫌い」「興ざめ」と感じたものを集めた章段です。現代の私たちが読んでも思わず笑ってしまうような、率直で鋭い描写が並びます。

「にくきもの」——日常のささいな苛立ち

「にくきもの」は、気に入らないもの、腹立たしいものを挙げた章段です。冒頭は《急ぐことあるをりに来て長言する客人》、急ぎの用事があるときに来て、長話をする客、から始まります。誰もが一度は経験したことのある苛立ちで、千年前の人も同じことに悩んでいたのか、と親近感を覚える部分です。

続けて《硯に髪の入りてすられたる》、硯に髪の毛が入ったまますってしまった、という描写が出てきます。墨をすっていて、気づいたら髪の毛が混ざっていた、という小さな不快感です。《墨の中に石の混じりて、きしきしときしみたる》、墨の中に小石が混じっていて、すっているとキシキシ音を立てる、という例も挙げられます。どちらも、命に関わるような大問題ではなく、ほんのわずかな不具合ですが、その「ささいさ」ゆえに誰もがうなずく苛立ちとして描かれています。

蚊の羽音、犬の吠え声

「にくきもの」の中でも特に印象的なのが、《ねぶたしと思ひて臥したるに、蚊の細声に名のりて、顔のもとに飛びありく》という一節です。眠いと思って横になっているのに、蚊が細い声で名乗りをあげるように、顔のあたりを飛び回る、という意味です。蚊の羽音を「名乗る」と擬人化している点が面白く、蚊の羽音の細くて耳障りな感じが、読者の耳にも届くようです。

また、《しのびて来る人見知りて吠ゆる犬》、こっそり忍んでくる人を見分けて吠える犬、という例も挙げられます。恋人の訪問を知られたくない場面で、犬が吠えて台無しにしてしまう、という状況です。単に犬が嫌いなのではなく、「こっそり来る」という状況の中で起こる不運を描いているので、まるで短い場面描写のように読むことができます。

「すさまじきもの」——季節外れの興ざめ

「すさまじきもの」の「すさまじ」は、現代語の「すさまじい(激しい)」とは違い、「興ざめだ」「場違いでしらける」という意味です。この章段は、《昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼ひ。ちご亡くなりたる産屋》と始まります。昼間に吠える犬、春になっても残っている網代(冬の魚捕りの仕掛け)、三月四月に着る紅梅の衣、牛が死んでしまった牛飼い、赤ん坊が亡くなった産屋、といった具合です。

共通するのは、「時季はずれ」「役目を失ったもの」「あるべき姿を失ったもの」という点です。昼間の犬の遠吠えは役割を果たせず、春の網代は季節が過ぎ、三、四月の紅梅の衣は季節外れの色です。そして《火おこさぬ炭櫃、地火炉》、火をおこしていない火鉢や囲炉裏、という例も続きます。本来は暖かいはずのものが冷えている、という虚しさも、興ざめの感覚に含まれています。

文章の小気味よさはどこから来るか

嫌いなものを書き連ねているにもかかわらず、これらの章段は、読んでいて不快になるよりも、むしろ愉快な気持ちになります。その理由の一つは、清少納言が「嫌い」という感情をそのまま怒りとしてぶつけるのではなく、一歩引いた位置から観察し、ユーモアを交えて描いていることにあります。蚊の羽音を「名乗る」と表現するように、不快なものを言葉の遊びに変えてしまう余裕があるのです。

もう一つの理由は、取り上げられている事柄が、特別な悪事ではなく、誰もが日常で経験する「ささいな不快」であることです。読者は、「わかる、わかる」と共感しながら、自分の経験と照らし合わせて読み進められます。共感を土台にしているので、悪口が悪口で終わらず、人間観察の面白さに昇華しているのです。

批判の矛先は、人間にも向かう

「にくきもの」には、物や動物だけでなく、人のふるまいに対する観察もたくさん含まれています。人のふるまいや話し方の無作法さが、短い描写で次々と取り上げられていきます。また、別の章段でも、言葉遣いの乱れや品のない振る舞いを辛辣に批判するものがあります。

ただし、この鋭い視線は、清少納言自身にも向けられていたようです。自分の失敗や、うっかりした行動を隠さずに書いている章段もあります。他人を批評するだけでなく、自分も「観察される側」に置いているため、辛口でありながら、どこか憎めない語り口になっています。

現代の創作に活かすなら

「嫌いなもの」を書くことは、キャラクターの個性を描く強力な手段です。登場人物が何に苛立ち、何を興ざめだと思うのかを具体的に書くと、その人物の価値観や育ちが自然と浮かび上がります。大切なのは、抽象的な「ひどい人」「嫌な出来事」ではなく、「硯に髪が入る」のような、小さく具体的な不快を選ぶことです。

次回は、これらの章段とは対照的に、定子のサロンでの出来事を、会話や場面を交えて描く日記的章段を読みます。有名な「香炉峰の雪」の場面も登場します。

参考文献

石田穣二(訳注)『新版 枕草子 上・下』角川ソフィア文庫

角川書店(編)『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』角川ソフィア文庫

国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」: https://kotenseki.nijl.ac.jp/