『枕草子』第6回:男たちとの駆け引き、逢坂の関
前回までのおさらい
前回は、「香炉峰の雪」を中心に、定子のサロンでの機知のやりとりを読みました。今回は、そのサロンを訪れる貴族の男性たちと清少納言との掛け合いに焦点を当てます。恋愛とも友情ともつかない、洗練された距離感が魅力です。
藤原行成との「逢坂の関」の歌
百人一首にも採られた清少納言の和歌《夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ》は、藤原行成(ゆきなり)とのやりとりから生まれました。行成は、のちに「三蹟」の一人に数えられる書の名人で、定子の周辺にも出入りしていた人物です。ある夜、行成が清少納言のもとに長居していましたが、宮中の物忌みを理由に、夜明け前に慌ただしく帰ってしまいます。
翌朝、行成は「鶏の声に急かされて帰りました」という内容の言い訳を書き送ります。これに対して清少納言は、「あれは函谷関の故事のような、鶏の鳴き真似でしょう」と返しました。これは中国の故事で、孟嘗君(もうしょうくん)が食客の鶏の鳴き真似によって、夜明けまで開かないはずの函谷関を抜け出した、という話を踏まえています。
歌に込められた切り返し
清少納言の歌《夜をこめて鳥のそらねははかるとも世に逢坂の関はゆるさじ》は、「夜の明けないうちに鶏の鳴き真似でだまそうとしても、あの函谷関ならともかく、私と逢うための逢坂の関は決して通しませんよ」という意味になります。「逢坂の関」は、「逢う」と掛けた言葉で、男女の逢瀬の意味も含んでいます。
中国の故事を引いて相手の言い訳をいなしつつ、自分の側の関は簡単には開かない、と返す。この一首には、教養、機知、そして色気までが詰まっています。これに対して行成も、「逢坂は人が越えやすい関だから、鶏が鳴かなくても夜が明けるのを待っていますよ」という内容の歌を返し、二人の掛け合いは続いたと『枕草子』は伝えています。
藤原斉信と、白居易の詩の切り返し
藤原斉信(ただのぶ)は、「頭の中将」という官職で登場することの多い、定子のサロンの常連でした。ある章段では、斉信が清少納言について、事実無根の噂話を聞いて機嫌を悪くしていたものの、のちにその誤解が解けて関係が修復される、という展開が描かれます。
その関係の中で、斉信が白居易の詩の一節《蘭省花時錦帳下》を書き送り、下の句を尋ねる場面があります。清少納言は、下の句の「廬山雨夜草庵中」をそのまま書くのではなく、「草の庵を誰かたづねむ」と、詩の意味を踏まえつつ、自分の言葉に変えて返答しました。「こんな草の庵を、誰が訪ねてくれるでしょうか」という皮肉混じりの切り返しで、周囲からも大いに感心されたと語られます。
藤原隆家と「海月の骨」
定子の弟である藤原隆家(たかいえ)は、豪胆で自信家な人物として知られています。「中納言参りたまひて」の章段では、その隆家が定子のもとを訪れた場面が描かれます。隆家は《隆家こそ、いみじき扇の骨は得て侍れ》、私はたいへんすばらしい扇の骨を手に入れました、と得意げに語り、それにふさわしい紙を探している、と言います。
定子が「どのような骨ですか」と尋ねると、隆家は《すべて、いまだ見ぬ骨のさまなり》、まったく、今まで見たこともない骨の形です、と高らかに答えます。これを聞いた清少納言が、《さては、扇のにはあらで、海月のななり》、それでは扇の骨ではなく、海月の骨のようですね、と切り返すと、隆家は《これは隆家が言にしてむ》、これは私の言葉にしてしまおう、と笑った、と語られます。
「海月の骨」の面白さ
海月(くらげ)には骨がありません。「見たこともない骨」と大げさに自慢する相手に対して、「それは海月の骨くらい、あり得ないものですね」と、軽やかに突っ込んだのが清少納言でした。しかも、この突っ込みに対して隆家は怒るのではなく、「それを自分の言葉にしてしまおう」と、笑って受け入れています。
この場面には、身分の高い貴族に対しても、臆せずユーモアのある切り返しができる清少納言と、それを面白がって受け止める貴公子の度量が描かれています。定子のサロンが、身分や性別を超えて、言葉の面白さを楽しむ場であったことがよくわかります。
恋愛未満の、距離感の魅力
これらの場面で描かれる清少納言と貴族たちの関係は、決して濃厚な恋愛ではありません。むしろ、親密さと緊張感を保ちながら、言葉を交わし合う「恋愛未満」の距離感が中心になっています。互いの教養と機知を認め合い、その面白さを共有することそのものが、関係の価値になっています。
『源氏物語』のような恋愛物語とは異なる、軽やかで対等な男女関係の描き方は、『枕草子』のもう一つの魅力です。ただし、すべての場面が楽しいやりとりばかりではなく、清少納言が男性に対して辛辣な評価を下す場面もあり、この点は次回以降の考察にもつながります。
現代の創作に活かすなら
会話の中に、元ネタ(故事や詩)を織り込んで、知っている人だけがにやりとできる仕掛けを作る、という技法は、現代のフィクションでも応用できます。ただし、元ネタを知らない読者にも楽しめるよう、場面の中で意味を補う工夫も必要です。『枕草子』では、そのための状況説明が丁寧に添えられています。
次回は、定子の運命が暗転していく時期と、『枕草子』がそれを「書かなかった」ことの意味を考えます。
参考文献
石田穣二(訳注)『新版 枕草子 上・下』角川ソフィア文庫
角川書店(編)『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』角川ソフィア文庫
国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」: https://kotenseki.nijl.ac.jp/
山本淳子『源氏物語の時代——一条天皇と后たちのものがたり』朝日選書、2007年