『枕草子』第8回:考察「をかし」と『源氏物語』の違い
これまでを振り返って
ここまで7回にわたり、作者と成立の背景、四季の描写、「好きなもの」「嫌いなもの」の列挙、定子サロンでの機知のやりとり、男性貴族との掛け合い、そして書かれなかった悲劇までを辿ってきました。最終回の今回は、『枕草子』全体を貫く特徴を整理し、考察を加えます。
「をかし」という美意識
『枕草子』を貫く感性を表す言葉として、しばしば「をかし」が挙げられます。「をかし」は、現代語の「おかしい(笑える)」とは異なり、「趣がある」「心惹かれる」「おもしろい」といった、知的で明るい感動を表します。対象を客観的に観察し、その魅力を発見して肯定する、という態度が含まれています。
一方で、『源氏物語』を貫く感性は、しばしば「もののあはれ」と説明されます。こちらは、事物や出来事に触れて生まれる、しみじみとした深い情感を指します。この対比はやや単純化されたものではありますが、二つの作品の違いを理解するうえでの手がかりになります。「をかし」が外の世界を見つめて面白がる感性だとすれば、「あはれ」は内面に沈みこむ感性だといえるでしょう。
紫式部の目に映った清少納言
『源氏物語』の作者・紫式部は、清少納言を批評した文章を『紫式部日記』に残しています。そこには《清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人》、清少納言こそは、得意顔でたいへんなものでございました人、という辛辣な一節があります。続けて、利口ぶって漢字を書き散らしているが、よく見ると不十分な点が多い、といった批判が続きます。
この評価は、同じ宮廷の女房として、競合する立場にあった二人の関係を反映したものと考えられます。紫式部は、彰子に仕え、清少納言は定子に仕えました。二つのサロンは、一帝二后という政治的な対立の中で、互いにライバル関係にありました。したがって、この批評は文学的な評価だけでなく、立場の違いも背景にあると読むべきでしょう。なお、二人が直接会った記録はなく、清少納言が出仕した頃、紫式部はまだ宮廷にいなかったと考えられています。
随筆と物語、書き方の違い
『枕草子』と『源氏物語』の大きな違いは、ジャンルにあります。『源氏物語』は、時間の流れに沿って人物の心情を深く掘り下げる長編の物語です。それに対して『枕草子』は、断片的な章段が並ぶ随筆で、時間軸や筋に縛られません。読者はどこから読み始めてもよく、気に入った章段だけを読むこともできます。
この自由さが、『枕草子』を現代の読者にとっても読みやすいものにしています。SNSの短い投稿や、日々のメモのように、一つのテーマを短い文章で切り取る形式は、現代の私たちの書き方とも通じるものがあります。実際に、『枕草子』を現代風に訳し直した本や、清少納言の人物像を描いた小説なども数多く生まれています。
『枕草子』の文章技法を整理する
本シリーズで見てきた技法をまとめると、次のようになります。まず「ものづくし」の列挙による、共感を土台にした観察。次に、季節の「瞬間」を切り取る具体的な切り口(時間帯、色、動き)。そして、故事や詩を踏まえた、行動で見せる機知。さらに、辛口の批評を、ユーモアで包んで愛嬌に変える語り口。最後に、悲しみをあえて書かず、輝きだけを残すという編集の意志、です。
これらの技法は、いずれも特別な才能を必要とするものではなく、観察と選択と編集の積み重ねによって生まれています。何を見たか、どう言葉にしたか、何を書かなかったか。その選択の連続が、千年後も読まれる文章を作ったのです。
清少納言のやり方を、自分の創作に取り入れる
小説を書く人にとっての最大の学びは、「日々の観察を書き留める習慣」かもしれません。『枕草子』は、清少納言が日常の中で見聞きしたことを、メモのように書き集めた結果として生まれました。美しい風景、腹の立つ出来事、おかしな会話。そうした日常の断片こそが、作品の質感を支える素材になります。
自分だけの「ものづくし」を作ってみるのは、手軽で効果的な練習です。「ときめくもの」「興ざめなもの」「かわいいもの」といったお題で、5つから10個の項目を書き出し、それぞれに一言の描写を添えてみてください。登場人物ごとに作ってみれば、キャラクター造形のよい資料にもなります。
このシリーズを終えるにあたって
全8回にわたり、『枕草子』のごく一部を取り上げて読んできました。この作品には、ここで触れきれなかった魅力的な章段が、まだまだたくさんあります。気になった章段があれば、ぜひ現代語訳つきの本や、原文のデータベースで、続きを読んでみてください。本文の系統や校訂によって、細かな違いがあることも、読み比べる楽しみの一つです。
千年前の一人の女性が、「目に見え心に思ふこと」を書きつけた言葉は、今も私たちに、日常を丁寧に見つめることの楽しさを教えてくれます。
参考文献
石田穣二(訳注)『新版 枕草子 上・下』角川ソフィア文庫
角川書店(編)『枕草子 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』角川ソフィア文庫
国文学研究資料館「新日本古典籍総合データベース」: https://kotenseki.nijl.ac.jp/
山本淳子(編)『紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス 日本の古典』角川ソフィア文庫、2009年
山本淳子『枕草子のたくらみ——「春はあけぼの」に秘められた思い』朝日選書、2017年