ノアの箱舟 第2回:地上に満ちた悪
第6章1〜8節のあらすじ
物語は、地上に人が増え始めたところから始まります。人の娘たちが生まれると、「神の子ら」と呼ばれる者たちが、娘たちの美しさに目を留め、思いのままに妻としました。これに対して主は、人の寿命を百二十年と定めると告げます。そして、その頃の地上には「ネフィリム」と呼ばれる者たちがいて、彼らは昔の名高い勇士だったと語られます。
続いて、主は地上に人の悪が増し、その心に思い計ることがいつも悪いことばかりであるのを見ます。主は地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛め、人だけでなく、獣も、這うものも、空の鳥も、地の面から消し去ろうと決めます。ただ、ノアは主の目にかなっていました。欽定訳では、この一文が《Noah found grace in the eyes of the LORD》、つまり「ノアは主の目に恵みを見いだした」と訳されています。たった八節で、世界の滅びの決定と、その中のただ一つの例外が示されるのです。
「神の子ら」とネフィリムの謎
冒頭の四節は、聖書の中でも特に解釈が分かれる箇所です。「神の子ら」が誰を指すのかについて、古くから大きく二つの読み方があります。一つは、天的な存在(天使のような存在)が人間の女性と交わったとする読み方で、古代ユダヤ教の文書の中には、この話を大きく膨らませたものもあります。もう一つは、特定の家系の人間や、権力を持つ王たちを指すとする読み方です。
ネフィリムについても、はっきりしたことは分かっていません。欽定訳はこの語を《giants》、つまり「巨人」と訳しており、英語圏で「洪水以前の巨人」というイメージが広まる一因になりました。この短い断片は、もともと別の伝承の一部だったものが、洪水の物語の前に置かれたと考える研究者もいます。いずれにしても、この断片は、天と地の境目が乱れ、世界の秩序が崩れていく様子を、謎めいた形で予告する役割を果たしています。
「悔やむ神」という描き方
この場面で印象的なのは、神の感情が率直に描かれていることです。欽定訳では、6章6節が《it repented the LORD that he had made man on the earth》と訳されています。主は、人を造ったことを悔やみ、心を痛めた、というのです。全能の存在が、自分の作ったものに失望し、苦しむ。この描き方は、のちの神学でもしばしば議論の的になってきました。
物語として読むと、この感情の描写には大きな効果があります。洪水は、冷たい自動的な罰としてではなく、作り手が苦しみながら下す決断として示されます。読者は、滅ぼされる世界の側だけでなく、滅ぼす側の痛みにも触れることになり、物語は単純な勧善懲悪から一歩踏み込んだものになります。メソポタミアの洪水物語では、神々は人間の騒がしさに腹を立てて洪水を起こすとされており、比べてみると、聖書の物語が人間の「悪」という倫理的な理由と、神の「痛み」を軸にしていることがよく分かります。
ノアという例外
この段落の最後に置かれた「ただ、ノアは」という一文は、物語全体の転換点です。それまで、人の増加、境界の乱れ、悪の広がり、神の後悔と、暗い話が積み重なってきました。そこへ、一人の人物の名前だけが、光のように差し込みます。
興味深いのは、この時点では、ノアがなぜ選ばれたのかが説明されていないことです。ノアがどんな人物なのかは、次の段落(第6章9節以降)になって初めて語られます。先に「例外がいる」とだけ示し、その理由をあとに回すことで、読者は自然に「この人は何者なのか」と知りたくなります。導入の最後に問いを残し、次の場面へ読者を引き込む構成になっているのです。
第5章の系図とノアの時代
第6章の物語に入る前の第5章には、アダムからノアまでの十代の系図が記されています。そこでは、アダムが九百三十年、セトが九百十二年というように、登場する人物たちが何百年も生きたとされます。もっとも長生きしたのは、ノアの祖父にあたるメトシェラで、九百六十九年生きたと書かれています。
系図に記された年齢を順に足していくと、メトシェラが亡くなったのは、ちょうど洪水の年にあたる計算になります。ヘブライ語の本文に従うと、メトシェラが百八十七歳のときにレメクが生まれ、レメクが百八十二歳のときにノアが生まれ、ノアが六百歳のときに洪水が起こるからです。本文自体はこの一致に触れていませんが、後の時代の読者たちは、こうした数字の重なりにも意味を見いだそうとしてきました。
「百二十年」の二つの読み方
6章3節で、主は人の寿命を百二十年と定めると告げます。この数字には、大きく二つの読み方があります。一つは、これ以降、人の寿命の上限が百二十年になった、という読み方です。実際、洪水のあとの系図では、人々の寿命は次第に短くなっていきます。のちにモーセが百二十歳で亡くなったとされることも、この読み方と結びつけて語られることがあります。
もう一つは、洪水が起こるまでの猶予期間が百二十年だ、という読み方です。人々に悔い改めの時間が与えられた、とする解釈で、古くからのユダヤ教やキリスト教の注解者の中にも、この読み方をとる人がいました。どちらの読み方をとるかで、この一節が「寿命の制限」になるのか、「最後の猶予」になるのかが変わります。短い一文に複数の読み方が残されていることも、この導入部分の特徴です。
「心に思い計ること」と、メソポタミアの洪水の理由
6章5節では、人の心に思い計ることが、いつも悪いことばかりだと語られます。欽定訳では《every imagination of the thoughts of his heart was only evil continually》です。ここで注目したいのは、第8章21節にも、人の心の思い計ることは幼い時から悪い、というよく似た表現が出てくることです。洪水の前と後で、人間の心についての評価は同じなのに、神の結論は正反対になります。この対応については、第5回で詳しく見ます。
メソポタミアの『アトラハシス物語』では、洪水の理由はまったく違います。増えすぎた人間たちの騒がしさが、神エンリルの眠りを妨げたため、神々は疫病、干ばつ、飢饉を次々と送り、最後に洪水を起こそうとします。これを、知恵の神エンキ(エア)がひそかにアトラハシスに知らせ、舟を造らせるのです。人間の「騒音」が理由になっているメソポタミアの物語に対して、聖書の物語は人間の「悪」と「暴虐」を理由にしています。同じような筋の物語でも、何を洪水の原因とするかによって、物語の主題は大きく変わります。
小説を書く人にとっての学び
この短い導入から学べるのは、「破局の理由」を示す順番です。まず世界の状態を見せ、次に決定を下す者の感情を見せ、最後に希望の種を一つだけ置く。わずか八節の中で、状況、葛藤、転換が揃っています。長い物語の冒頭でも、この三つを短く提示できれば、読者は物語の方向をつかむことができます。
また、謎めいた断片(神の子らとネフィリム)を、あえて説明しすぎずに置いている点も参考になります。世界の奥行きは、すべてを説明することではなく、説明されない何かがあると感じさせることで生まれます。次回は、ノアの人物像と、箱舟の設計図が語られる第6章の後半を読みます。
参考文献
The Holy Bible, King James Version, 1611(英語訳。Project Gutenberg: https://www.gutenberg.org/ebooks/10)
『聖書 聖書協会共同訳』日本聖書協会、2018年
『聖書 新共同訳』日本聖書協会、1987年
関根正雄(訳)『旧約聖書 創世記』岩波文庫、1956年
Robert Alter, Genesis: Translation and Commentary, W. W. Norton, 1996
月本昭男(訳)『ギルガメシュ叙事詩』岩波書店、1996年
Andrew George (trans.), The Epic of Gilgamesh, Penguin Classics, 1999