ノアの箱舟 第7回:ぶどう畑とノアの最期
第9章18〜29節のあらすじ
箱舟から出たノアの息子は、セム、ハム、ヤフェトでした。ハムはカナンの父であり、この三人から全地の民が広がった、と語られます。ノアは土を耕す人となり、ぶどう畑を作りました。欽定訳では《Noah began to be an husbandman, and he planted a vineyard》です。ある日、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になって眠り込んでしまいます。
カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げます。セムとヤフェトは衣を取って二人の肩に掛け、後ろ向きに歩いて入り、父の裸を見ないようにして覆いました。酔いから覚めたノアは、末の息子が自分にしたことを知り、カナンを呪い、セムとヤフェトを祝福します。洪水のあと、ノアは三百五十年生き、その生涯は九百五十年でした。こうしてノアは死に、物語は幕を閉じます。
英雄の物語のあとに置かれた、不名誉な場面
世界を救った人物の物語の最後に、酔って裸で眠り込む姿が描かれる。この結末に戸惑う読者は少なくないでしょう。ノアは、第6章で「正しく、非の打ちどころのない人」と紹介された人物です。その彼が、新しい世界で最初に作ったぶどう畑のぶどう酒で、失態を演じるのです。
この場面は、洪水のあとの世界が、決して完全な世界ではないことを示しているとも読めます。第8章で神は、人の心が幼い時から悪に傾くことを認めていました。洪水は悪を一掃したのではなく、世界をやり直す機会を与えただけでした。選ばれた人物でさえ過ちを犯す。人間の弱さが、新しい世界でもすぐに顔を出すことを、物語は隠さずに描いています。ノアが「農夫」として最初にぶどうを植えた人物とされている点には、人類の文化の始まりを語る物語としての側面もあります。
初めて語られるノアの言葉と、カナンの呪い
第1回と第3回で触れたように、ノアは物語のほとんどの間、一言も話しません。そのノアが初めて口を開くのが、この場面です。欽定訳では、9章25節の言葉が《Cursed be Canaan》、「カナンは呪われよ」と始まります。物語全体で唯一のノアの台詞が、息子の子孫への呪いと、他の息子たちへの祝福であることは、強い印象を残します。
ここで呪われるのが、過ちを犯したハム本人ではなく、ハムの息子カナンであることは、古くから議論されてきました。この言葉は、のちにイスラエルの人々がカナンの地に住む人々と向き合った歴史を背景にしていると考えられています。一方で、後の時代には、この箇所が「ハムの呪い」と呼ばれ、特定の人々への差別や奴隷制を正当化するために歪めて使われた歴史があります。本文そのものには人種に関わる記述はなく、こうした使われ方は誤った解釈として強く批判されています。物語が後世にどう読まれ、どう利用されてきたかを知ることも、古典を読むうえで大切な視点です。
三人の息子と「諸民族の表」
第9章の最後でノアの生涯が閉じられたあと、第10章には、セム、ハム、ヤフェトの子孫たちの系図が続きます。この章は「諸民族の表」と呼ばれ、古代の人々が知っていた周辺の民族や土地の名前が、三人の息子の子孫として整理されています。ユダヤ教の伝統では、ここに挙げられた民族の数を七十と数え、世界のすべての民を表すものと考えてきました。
後の時代、ヨーロッパの学者たちは、この系図をもとに言語や民族を分類しようとしました。たとえば「セム語」という言葉は、ノアの息子セムの名前に由来し、18世紀にドイツの学者によって使われ始めたものです。もっとも、現代の言語学や歴史学では、第10章の系図は、古代イスラエルの人々から見た世界の地理的な認識を表したものと考えられており、実際の民族や言語の起源を示すものとはみなされていません。
最初のぶどう畑と、ワインの起源
ノアは、聖書の中で最初にぶどう畑を作った人物とされています。洪水のあとの世界で、人は再び土を耕し、作物を育て、そこから酒を造るようになります。第5章でノアの父レメクが、この子は呪われた大地での労苦から慰めをもたらすだろうと語っていたことを思い出すと、ノアがぶどうを育ててぶどう酒を造ることは、その予告の一つの形だと読むこともできます。
興味深いことに、考古学の調査でも、ぶどう酒造りの最も古い痕跡の一つが、アララト山にほど近い南コーカサス地方で見つかっています。現在のジョージアにあたる地域の遺跡から出土した土器には、約八千年前にぶどう酒が造られていた跡が残っていました。もちろん、これが聖書の記述を裏づけるわけではありませんが、ぶどう栽培の始まりの地と、箱舟が止まったとされる地域が近いことは、物語と歴史が思わぬところで触れ合う例として、しばしば紹介されます。
聖書の他の箇所と、他の宗教のノア
ノアは、『創世記』の外でも繰り返し語られます。旧約聖書の『エゼキエル書』では、ノアは正しい人の代表として、ダニエル、ヨブと並べて名前が挙げられます。新約聖書では、イエスが終わりの時について語る場面で、人々が洪水の直前まで食べたり飲んだりしていた「ノアの時代」がたとえとして用いられ、『ヘブライ人への手紙』では、ノアは信仰によって箱舟を造った人物として紹介されています。
ノアは、イスラム教の聖典クルアーンにも、ヌーフという名前の預言者として登場します。クルアーンには、彼の名前を冠した章(第71章)があり、また第11章などでは、人々に神への立ち返りを呼びかけながら舟を造り、それを人々に嘲笑されるヌーフの姿が描かれています。『創世記』では語られなかった「人々への呼びかけ」が、ここでは物語の中心に置かれているのです。同じ人物が、伝統ごとに違う姿で語り継がれていることも、ノアの物語の広がりを示しています。
後世への影響
ノアの物語は、聖書の物語の中でも特に多くの芸術作品に取り上げられてきました。ローマのシスティーナ礼拝堂の天井画には、ミケランジェロによる「大洪水」「ノアの燔祭(はんさい)」「ノアの泥酔」の場面が描かれています。動物たちが二頭ずつ箱舟へ入っていく場面も、絵本や挿絵の定番となりました。2014年には、ダーレン・アロノフスキー監督による映画『ノア 約束の舟』も公開されています。
言葉の上でも、物語の影響は残っています。「ノアの箱舟」は、多くの命や大切なものを危機から守る場所のたとえとして使われ、鳩とオリーブの枝は平和の象徴になりました。そして『創世記』は、先に見た第10章の諸民族の表を経て、第11章のバベルの塔の物語へと進んでいきます。ノアの物語は、世界の始まりの物語と、人々が地上に広がっていく物語とをつなぐ、大きな橋の役割を果たしているのです。
小説を書く人にとっての学び(シリーズのまとめ)
この最後の場面から学べるのは、「大きな物語のあとの後日談」の力です。世界の救済という頂点のあとに、人間らしい失敗を置くことで、物語は単なる英雄譚では終わらず、読者に問いを残します。完璧に見えた人物にも弱さがあると示すことは、人物に奥行きを与え、物語を現実に近づけます。
全7回を通して見ると、ノアの物語には、創作に役立つ技法が凝縮されていました。短い導入で状況と葛藤と希望を示すこと、具体的な数字と手順で途方もない出来事に現実感を与えること、反復で緊張を高めること、一文で流れを反転させること、身近な自然を象徴にすること、そして序盤の言葉を結末で回収すること。数千年読み継がれてきた物語の構造は、今の私たちの小説にも、そのまま生かすことができます。
参考文献
The Holy Bible, King James Version, 1611(英語訳。Project Gutenberg: https://www.gutenberg.org/ebooks/10)
『聖書 聖書協会共同訳』日本聖書協会、2018年
『聖書 新共同訳』日本聖書協会、1987年
関根正雄(訳)『旧約聖書 創世記』岩波文庫、1956年
Robert Alter, Genesis: Translation and Commentary, W. W. Norton, 1996
月本昭男(訳)『ギルガメシュ叙事詩』岩波書店、1996年
Andrew George (trans.), The Epic of Gilgamesh, Penguin Classics, 1999