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ノアの箱舟 第5回:カラスと鳩、水が引くまで

第8章のあらすじ

第8章は、《And God remembered Noah》、「神はノアを覚えていた」という一文から始まります。神は箱舟の中のノアと動物たちを心に留め、地の上に風を吹かせました。すると水は静まり、淵の源と天の窓は閉ざされ、雨はやみます。水は少しずつ引いていき、百五十日が過ぎると減り始めました。

第七の月の十七日に、箱舟はアララトの山々の上に止まります。水はさらに減り続け、第十の月の一日には、山々の頂が見えるようになりました。四十日が過ぎたころ、ノアは箱舟の窓を開け、カラスを放ちます。続いて鳩を放ちますが、鳩は足を休める場所が見つからずに戻ってきました。七日待って再び鳩を放つと、夕方にオリーブの若葉をくわえて戻ってきます。さらに七日待って放つと、鳩はもう戻りませんでした。ノアが六百一歳の年の第一の月の一日に、地の面から水は乾き、第二の月の二十七日に地はすっかり乾きます。神の言葉に従って、ノアたちと動物たちは箱舟を出ます。ノアは祭壇を築いて供え物をささげ、主は二度と人のゆえに地を呪わないと心に決めます。

「神はノアを覚えていた」という転換点

第8章の冒頭の一文は、物語全体の中心にある転換点です。第7章までは水が増し続け、すべてが滅びに向かっていました。その流れが、「神が覚えていた」という一言で反転し、ここから先は水が減り、命が戻っていく方向へ進みます。聖書で「覚える」という言葉は、単に思い出すことではなく、相手のために行動を起こすことを含んでいるとよく説明されます。

研究者の中には、洪水の物語全体が、この一文を中心に、前半と後半が鏡のように向かい合う構成になっていると指摘する人もいます。箱舟に入る前の七日間と、出る前の七日ごとの鳩、水が増す四十日と、山頂が見えてからの四十日、というように、数字や出来事が対応しているというのです。厳密にどこまで対応しているかには議論がありますが、滅びと再生が対称的に配置されていることは、読んでいても感じ取れます。

カラスと鳩、そしてオリーブの葉

鳥を放つ場面は、この物語の中でもっとも絵になる場面の一つです。最初に放たれたカラスは、地上の水が乾くまで、行ったり来たりを繰り返したと書かれています。続いて放たれた鳩は、一度目は戻り、二度目にオリーブの若葉をくわえて戻り、三度目にはもう戻りません。欽定訳では、二度目の場面が《and, lo, in her mouth was an olive leaf pluckt off》、つまり「見よ、そのくちばしには摘み取ったオリーブの葉があった」と描かれています。

オリーブの葉は、地上に再び植物が育ち始めたことを示す、小さくて確かな証拠です。この場面から、鳩とオリーブの枝は、のちの時代に平和の象徴として広く使われるようになりました。『ギルガメシュ叙事詩』でも、ウトナピシュティムは鳩、ツバメ、カラスの順に鳥を放ち、戻ってこなかったカラスによって陸地を知ります。鳥で陸地を探すという要素は共通していますが、聖書の物語では、鳩が持ち帰ったオリーブの葉という具体的なしるしが、希望を目に見える形で示しています。

祭壇と、神の心の中の決意

箱舟を出たノアが最初にしたことは、祭壇を築き、清い動物と鳥の中から供え物をささげることでした。第7章で清い動物が七つがいずつ乗せられていたのは、この供え物のためだったと読むこともできます。主はその宥めの香りをかぎ、心の中で、人の心が幼い時から悪いことに傾くとしても、二度と人のゆえに地を呪わず、生き物をことごとく打つことはしない、と語ります。

章の最後の8章22節は、欽定訳で《While the earth remaineth, seedtime and harvest, and cold and heat, and summer and winter, and day and night shall not cease》と訳されています。地が続く限り、種まきと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜はやむことがない、というのです。洪水で巻き戻された世界の秩序が、季節の巡りとして約束し直されます。注目したいのは、人の心の傾きそのものは変わっていないと認めたうえで、神の側が態度を改めている点です。

日付で追う第8章

第8章は、日付と期間の記述がとても細かい章です。順に並べると、まず第七の月の十七日に、箱舟がアララトの山々の上に止まります。第十の月の一日には、山々の頂が見えるようになります。それから四十日たって、ノアは窓を開けてカラスを放ちます。そのあと鳩を放ち、七日待って再び放ち、さらに七日待って三度目を放ちます。

ノアの六百一歳の年の第一の月の一日、ノアは箱舟の覆いを取り除き、地の面が乾いているのを見ます。そして第二の月の二十七日に、地はすっかり乾きました。洪水が始まったのが第二の月の十七日でしたから、ノアたちは一年と十日ほどを箱舟の中で過ごした計算になります。日付をたどるだけで、閉じ込められた時間の長さが、具体的に伝わってきます。

アララト山はどこか

箱舟が止まった場所について、本文は「アララトの山々」と複数形で記しています。アララトは、古代アッシリアの記録に「ウラルトゥ」として登場する地域の名前で、現在のトルコ東部からアルメニア、イランにまたがる山岳地帯を指していたと考えられています。つまり本文は、特定の一つの山ではなく、その地域の山々のどこかに箱舟が止まった、と語っているのです。

現在「アララト山」と呼ばれているのは、トルコ東部にある標高五千メートルを超える火山です。この山を箱舟の止まった場所とする伝承は後の時代に広まり、今でも箱舟の遺物を探す探検がたびたび話題になります。ただし、本文の書き方からは、場所を一つの山頂に特定することはできません。物語は、文明の中心であったメソポタミアの平原から見て、北の果てにそびえる高い山々の上に箱舟が止まった、と描いているのです。

なぜカラスは戻らなかったのか

最初に放たれたカラスは、水が乾くまで行ったり来たりした、とだけ書かれています。なぜカラスが先で、鳩があとなのか。なぜカラスについては、陸地を見つけたかどうかが語られないのか。これらは昔から、読者たちの関心を集めてきました。

よく挙げられる説明の一つは、カラスは死骸も食べるので、水に浮かぶものの上で生きていけたが、鳩は乾いた地面や木がなければ休めなかった、というものです。だからこそ、鳩が戻ってこなかったことが、地上に休める場所ができたという確かな証拠になります。カラスと鳩という性質の違う二種類の鳥を使い分けることで、物語は「水が引いた」という状況を、段階を追って読者に伝えているのです。

乾いても、すぐには出ない

8章13節で、ノアは箱舟の覆いを取り除き、地の面が乾いているのを自分の目で確かめます。それでも、ノアはすぐには箱舟から出ません。地がすっかり乾いた第二の月の二十七日になって、神が「箱舟から出なさい」と告げてから、ようやく家族と動物たちを連れて外に出ます。

入るときも、出るときも、ノアは自分の判断ではなく、神の言葉に従って動きます。鳥を放って様子を確かめるという、自分でできる確認は行いながら、最後の一歩は神の言葉を待つ。ここにも、第3回で見た「命じられたとおりにする」ノアの人物像が、一貫して描かれています。

小説を書く人にとっての学び

この章から学べるのは、「待つ時間」の描き方です。水が引くまでの長い期間は、日付と、鳥を放つ行動の繰り返しによって描かれます。七日待つ、また七日待つ、という単調なリズムが、閉じ込められた人々の時間の長さを読者に体感させます。そして、その単調さの中に、オリーブの葉という小さな変化が置かれることで、読者は登場人物と一緒に希望を見つけることになります。

もう一つは、転換点を一文で示すことです。「神はノアを覚えていた」という短い言葉が、物語の流れを滅びから再生へと切り替えています。長い物語の中で流れを変えるとき、大げさな事件を起こすより、短く印象的な一文で示すほうが、読者の記憶に残ることがあります。次回は、虹の契約が結ばれる第9章の前半を読みます。

参考文献

The Holy Bible, King James Version, 1611(英語訳。Project Gutenberg: https://www.gutenberg.org/ebooks/10)

『聖書 聖書協会共同訳』日本聖書協会、2018年

『聖書 新共同訳』日本聖書協会、1987年

関根正雄(訳)『旧約聖書 創世記』岩波文庫、1956年

Robert Alter, Genesis: Translation and Commentary, W. W. Norton, 1996

月本昭男(訳)『ギルガメシュ叙事詩』岩波書店、1996年

Andrew George (trans.), The Epic of Gilgamesh, Penguin Classics, 1999